映画 BLUE GIANT は ちゃんとBLUE GIANT してて良かったが、ちょっとの残念が凄く残念でもある

上映から二週目に鑑賞してから暫く経ち、目にする世の中の評判は上々という、上京して一流のジャズプレーヤーを目指して奮闘する3人の青年を熱く描き切れたところが多くの人の心を打ったのだろう。原作者が脚本を担当しただけあり「コレジャナイ」映画になることなく、まさに自分が好きな"BLUE GIANT"だった。良かった。素晴らしい。そして、最大のポイントが迫力ある音楽。アニメ化が発表された時にはどうなることか不安しかなかったが、初めて予告を見た時に違和感がなくて少し安心した。常々、上原ひろみさんの曲は肩肘張らずとも聴きやすいしカッケーなと思っていたけれど、実際にジャズに興味もなかった多くの人に受け入れた雰囲気で大成功となったようだ。

 

熱いストーリー、面白かった。100点!という内容だった。

 

アニメになった事で玉田の頑張りっぷり上達ぶりが目に見えて(耳に聞こえて)分かるようになった。雪祈にあしらわれてもめげず、レガートも打てない状態で初ライブに挑みテンポを掴めずリズムも反転した挙句譜面を見失って完全停止。観ているこっちの股間も縮み上がるような悪夢の体験にもめげず、毛布被ってバケツ叩き(毛布一枚じゃ近所迷惑防げませんがなと爆笑。このシーン好き)、たかが数年で最後あれだけの演奏ができるようになる様が「どれだけ練習したんだよ」ってセリフを玉田にこそ言ってあげたい気持ちでいっぱいになった。君がMVPだ。泣けた。

 

原作から改変されたラスト(雪祈の処遇)も良かった。原作は東京編以降も続くので長い目でのストーリー展開を見据えたものだろうから、理不尽な出来事、苦い経験や挫折を長期にかけて克服成長するというシナリオは分からなくはない。しかし、やっぱりお話として心情的に受け入れがたい展開だったと感じる。あんな目に合わせなくてもいいんじゃないか、ドラマチックが過ぎたのではないかと。そして単体の映画で考えると原作ラストをなぞるのは物語として気持ちよくはないから、全く違う展開になる事を期待していた。結果、ギリギリまで原作同様だったがラストには少し暖かい展開が追加された。そうきたか!とびっくりした。泣いた。圧巻のテーマ曲からエンディングへ。あのぅ、映画では最後に流した涙をエンディングロール中に拭うんですよ。でも折角落ち着いたのに最後の最後でまた泣かせないでくださいよ。ダメです、反則です!・・・(笑)

 

結局、BLUE GIANTBLUE GIANTだった。キャラ達の熱さやバンドの緊張感は面白く、実際の音楽の力もあって迫力や分かりやすさもアップしていた。良かった。

 

ひとしきり誉めた。しかし、気になる点はあった。これを「欠点が気にならないほどの良作」と言っても良いが、なんかもやもやするのでそうは言わない。

 

①大の過去の練習シーンが薄い

映画は、大が仙台から東京に出てくるところから始まる。まあ、尺を考えると仙台編なんて当然やってる時間ないのだけれど、大が仙台でどれだけ練習をしていたかの描写が薄過ぎた。話が進むに連れて回想や東京での練習風景からも大がどれだけ練習の虫であるのかは見えるようにはなる。ただ、大にバンドを組もうと誘われた雪祈が最初に大の演奏を「審査」するシーン、演奏前に楽器経験3年と聞き大笑いするも、演奏を聴き「3年間、どんだけやってきたんだ…」と感極まる雪祈のシーン。漫画ではかなり好きなシーンなのだけど、映画ではこのシーンの前に大がどれだけ練習したかの描写が薄く、一応演奏の迫力からグッと来てはしまうのだけど、感情面が若干ス~ッと流れてしまったところは気になってしまった。ここがもうちょっと感動できれば良かったなと思った。

 

② CG(モーションキャプチャ)がヤバい

日本語を学習する人にとって「ヤバい」は難題だそうだ。良い意味も悪い意味も表し、どちらかはその時の状況とか微妙な文脈、ニュアンスを読み取る必要がある。

この場合、作った人には申し訳ないが、悪い意味。CGがヤバい。予告編のときから気になっていたが悪い方に実現されてしまった。演奏シーンが通常のアニメ作画ベースの場合と、CGベースの場合があり、特に遠目からのシーンがCG表現になり、少しボヤけた実写映像みたいに見えて「うっわ実写かよこれ!」という雑念がライブ中にどうしても頭をよぎって集中しきれない状態になる。何でこうなったかなという感じ。順調にアニメを見ていたと思ったら、急にヌルヌルした動きの実写パートが挟まってくるような、違和感、不整合、不気味の谷

予算がなかったのだろうか。時間もなかった?それとも計算通り?さらに、立川監督のインタビュー記事の中でこういうのを読んだ。「サックスの2番管は形状がとても複雑で描くのが大変なので、描かなくてよいようにフレーミングを工夫した(正確な切りだしではないが)」と。見てる最中は全く意識していなかったが、そう言われた上でwebで公開された映像を見ると、確かにその大変さを回避する最大限の努力がなされているように見える。。。どうなの?と。工夫した点として率直に語ってくれたとは思うのだけど、それって言う事なのかな、とも思ってしまう。

 

色々な音楽もののアニメがあり、演奏シーンのクオリティーも様々。マクロスセブンの頃のように絵と音のシンクロも取れずぎこちない演奏シーン(それでも熱い心<ハート>で観ていた)は遥か昔、最近のアニメであれば画も含めて思わず唸ってしまう良作はある。同じジャズなら坂道のアポロンのアニメーションは今見ても素晴らしいし、渡辺監督のインタビューを読めばそこまで手間掛けて映像を作っていたんだなと感動してしまうほど。吹奏楽で多くの管楽器が出る 響け!ユーフォニアムにも「工夫」はあるのだろうが、それぞれの楽器の美しさや音とのシンクロ感、ここぞという時の演奏のクローズアップ描写、サックスなら駅ビルコンサートの晴香部長のバリトンのソロなどは、キーが連動して動くような細かい所まで描き込まれている。雑念が入る余地もなくストーリーに引き込まれてしまう説得力のあるアニメーション。ぼっちざろっくの学祭ライブシーンなんかあの作りこみは「ヤバい」ですよ。シンプルなデザインでありながらリアルな動きとバンドの連帯感の演技には脱帽する。何回見返したことか。表現の方向性は作品によって違うだろうが、いずれも素晴らし過ぎる演奏シーンだ。

 

これらのレベルを実現するのは無理だとしても、頑張って欲しかったなぁと残念で仕方ない。せめてアニメとして違和感がない状態なら非の打ち所がなかった。

 

何にしても、誉め言葉の頭に「CGはちょっとアレだけど」というのを付けずにいられない状況が、ホントもったいなさ過ぎると感じる。これも個性と前向きに捉えたり、多くのレビューのように「欠点が気にならないほどの素晴らしいストーリー」と言ってしまっても良いのだろうが、やっぱり音楽モノとして他のアニメと完成度を比べてしまうし、ここが良くできていたら。。あえて「欠点が気にならないほどの」とか言わなくて済めばどんなに嬉しかっただろう。

 

③ジャズってなんだろう

原作の仙台編で大が周囲の人にジャズってどういうものかを伝えられず悩むような描写がある。クラスメートが述べる、「オシャレな音楽」「難しくて取っつきにくい音楽」「大人が聴く音楽」というようなイメージに大は「うーーん」と唸る。

この映画を見て、ジャズっていいものだと感じた人も多そうだ。映画のサントラもかなり売れている模様。

劇中で大がベテランのジャズマンのおっさんに、どのジャンルを演るのか問われるシーンがある。モードかビバップか?というような問いに、違うJAZZだ、と、ジャンルに囚われないことを表す受け答えをした。演奏者としてはそれで良いのだと思う。オリジナリティが重要なはず。

一方映画を見たJAZZ初心者はどう捉えただろうか。JAZZ=上原ひろみっぽいもの、と捉えたかも知れない。そういう人は、劇中大が熱く語っていた過去の偉人に興味を持ちCDを聴いたとしてピン!と来るだろうか。スタンダートなJazz曲も気に入って聴くようになるだろうか。そうなって欲しいがそうならないような気もする。少しモヤモヤとした感覚。

 

以上。折角の映画化だったので期待したけど、特にCGの出来がとても残念だった。それでも100点といいたい。熱すぎる良作。また観に行きたい。

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以上、上映開始間もない頃に書いたブログだったが、随分寝かせてしまった。

今回、行きつけの立川シネマシティで長らく上映していたBLUE GIANTが7/20で終了するというので、もう一度見に行った。前回鑑賞後に原作を最初から読み直した上での鑑賞だったので、展開が早いなというのはあるが、まあ玉田君の頑張りには以前以上にこみ上げるものがあった。吹き替えもいい味を出しているなと思う。

 

楽器の書き込みが良くない事を書いたが、改めてみてみると、細かく描き込まれたシーンはとても多かった。CGの部分はもちろん綺麗で。時々あれって感じもあったりして、シーンによって質感の落差が激しいなと微笑ましく思いつつも、そもそも上で挙げた他のアニメと比べると楽器が出てくるシーンが圧倒的に多いのであり、最大限良くできているなと思った。難癖付けてすみません。

 

一方、CGのシーンは相変わらず受け入れがたい。ヌルヌル動くのはいいとして、スピード感が全くない。音とは合ってるんだけど、不思議とノロく見てえしまう。これだけは惜しい。プレーヤーに寄ったシーンだとスピード感もあってカッコイイ。SoBLUEの玉田くんのドラムソロとかホント良かった。若いって素晴らしい、ってのが表現され切っていた。一つの曲中で入り混じる質感にはどうしても集中力を削がれてしまう。

 

最後のシーン、大はミュンヘンに向かって旅立っていったが続編は多分作られないだろうな。映像化できるリアリティとして東京編が限度という気がする。観てみたいけど。

 

映画 BLUE GIANT 上映開始

映画BLUE GIANTが本日公開になった。観る前にちょっと。

もう随分前に原作の第一部ベースで映画化されると発表された時には、嬉しさ半分心配半分のように感じた気がする。原作は好きでずっと読んでいるので基本的には嬉しいのだけど、音楽モノという事で楽曲のデキ自体、なにより演奏シーンのアニメーションのデキがとても気になるというか心配してしまう。シナリオは原作と変えているようなのだけど、きっと良いデキなのだと思って心配していない。最近のアニメはどれも質が高いし。どちらかというと、原作の第一部のラストはドラマチック過ぎたと感じていて、次への繋がりとかもあるからなぁとか思うものの、映画版はもうちょっと若者の前途を気持ちよく見送れるような形になれば良いなと思っている。

 

音が聴こえる漫画、のようなキャッチフレーズをよく見かける。半分分かるし半分は分からない。ダイが鳴らす「バーーーーッ」というような音は確かに臨場感があって聴こえるようだ。でも、どんな曲をやっているのだろうといのがイメージできなかった。

JAZZを知らない観客、ハードロック、メタルの観客をも引き込む演奏というのはどういうものだろうか?少なくとも、JAZZというと思い浮かべがちな、往年の繊細でムーディーでスムーズな曲ではないはず。きっと、スピードがあり力強くテクニカルであり繊細さも兼ね備えたような現代的な曲だろう。作者がイメージしている具体的なバンドがあるのだろうか。フュージョン的な感じ?音楽知識が乏しいので、この辺のイメージについてはいつもモヤっとしていた。

 

公開日が近づくにつれて、劇場の告知映像を観るようになった。音楽は上原ひろみだという。なるほど、とは思った。イメージとしてはあまり違和感がなかった。音響の良い劇場で観たら迫力があるだろう。

 

一方、もう一つの心配点であるアニメーションの部分は心配が増した。CGでぬるぬる動いている。特にドラムの玉田の動きが気になった。近いところではファーストスラムダンクの例のように、実際観てみればCGでやったからこその迫力があって素晴らしかったという事になるかも知れないが、やっぱり心配。

バンドアニメーションの進化は、マクロスセブンで音と動きが合ってねぇって笑いながら観ていたところから、坂道のアポロンのアニメーションで度肝を抜かれ、ぼっち・ざ・ろっくの最終話での神がかった演奏シーンに達した。音楽モノであるからには、さらには劇場版だからこそ、ここのクオリティには凄く期待している。

坂道のアポロンやぼっちの演奏シーンはモーションキャプチャーを土台にしてアニメ作画しているらしい。だからリアルな動きをしつつもデフォルメされる所はされていてスピード感も失わず違和感も少ない映像になっているだろう。素人目にも恐ろしく手間のかかる作業をしているんだなと想像でき、作った方々は本当に素晴らしいと思う。

BLUE GIANTのCGは実際の映画の中でどう見えるだろうか。

楽しみ。

 

アバター・ウェイ・オブ・ウォーターは前作鑑賞前提だった

2022年最後の映画鑑賞は、アバターの2作目、ウェイ・オブ・ウォーターで締めることになった。前作を見ていない状態だったので心配だったものの、何とかついて行けるに違いないと高を括ったのが大間違い、結果としては消化不良しまくりで何とも後味悪い締め括りとなってしまった。

 

細かく言えば、元々は人間だった人が青い原住民(ナヴィというのかな)になって(転生した?脳移植?改造人間的な?VR的な状態?)、攻めてきた地球人と戦って退けた、というのが1の粗筋というレベルの前提知識で何とかなるだろうと思い、臨んだ。

 

ネタバレも意識して事前情報もあまり仕入れなかったのが仇となった面はあるが、情弱乙ということになるか。

 

序盤の説明で分かったのは主人公が原住民と結婚して家族ができて溶け込んで生活しているという事で、突如として現れたスカイ・ピープルって何?何故主人公目掛けて襲ってきているかもよく分からず、おそらく前回は人間だった敵方が、侵攻失敗の課題となったフィジカル面を強化するためナヴィとなり再度侵攻してきたのだろうなぁ、と想像するも詳細は不明。単に悪い軍団が攻めてきた、くらいのイメージで観る事になる。

 

結局、2の展開がほとんど理解できず、単に映像が凄い映画という印象で終わった。もっと言えば、美しい海の映像が、環境映像のようでリラックスしたのかラストに掛けて睡魔に負けてしまった。どうやって敵を退けたのかすっぽり抜け落ちてしまった。

 

なぜ前作を見てもいない本作品を観たいと思ったかは、常々IMAXというものを一度体験してみたかったというベースがあり、そこに最高レベルの映像技術とみられる本作品が相応しいと思ったこと。気になった事はなる早で済ませてしまいたいという性分もあり、年末の忙しい時に行きましたよ。寝不足の上、片道16kmの立川TOHOシネマまでチャリンコを飛ばしたこともあり、体力的には余裕がなかった。

 

上映環境としては、IMAX + 3D + HFRの上映だったのだけど、映像は確かに凄かった。特にごく自然に3D映像が目の前に広がる様は驚く他ない。実際の視界よりも立体的に見えるので、そういう見え方も面白いというか、頭がいい意味でクラクラするというか。以前に見た3D映画は、レディプレーヤーワンだが眼鏡の上に3Dグラスをしている状態で時折見難くなるなど、多少気になる瞬間もあったイメージだが、今回の映像は非の打ちどころもなく自然に感じた。見え方については劇場の違いもあるのかは分からないが。

 

また、一部の実写シーンを除いてフルCG映像になると思うが、もはや実写と変わらぬリアリティがある。奇妙な造形のクリーチャーが多数登場するが、それらは目の前に実在するものだという感覚であり、頭脳がパニックになるほどのインパクトがあった。

 

内容は後々補完するとして、最高品質の映像を体験できたという意味では十分元は取ったと思う。ただ、映画として面白いかは別の話だなぁ、という感想だった。

 

なお、IMAXは確かに迫力があった。通常のスクリーンは横長なのに対して、正方形に近く劇場の上から下までスクリーンが広がっている。予告編を見ていると人間が大写しになるシーンなどは特に迫力があった。ミッションインポッシブル新作のメイキング映像が流れたが、トム・クルーズがバイクで崖に飛び込むシーンの撮影場面で、上から崖を見下ろす映像には股間が縮み上がるような迫力があったりと、アバターの本編映画以外にも色々と楽しめる部分は多かった。

 

 

アキバ冥途戦争1

なんじゃ、これは。。。

第一話を見終わって、このアニメをどう捉えれば良いのかかなり戸惑った。素直に面白いと思って良いのかどうかも分からん。ただ、心のざわつきが収まらない。

 

2022年秋の膨大なアニメ放送数の中から何が面白そうだろうかと見定める中で「アキバ冥途戦争」というタイトルがPA WORKSでなかったら、まず0話切りしていたと思う。メイドがキャッキャするアニメかなと。もしくは、ギャル役・黒沢ともよに引っかかったかも知れないし、後々話題になったとしたら どれどれと観てみたかも知れない。

PA WORKSの作品は「凪のあすから」に衝撃を受けて以来、何はともあれ録画予約するようにしている。配信が当たり前になった今になっても(ラグなくすぐ見れるように)。できれば高画質のモードで。自分がPA WORKSというブランドを意識したのが凪あすであって、自分のアニメ第?次ブームに火をつけた作品の一つがTARI TARIだったりと、ずっと身近でお世話になっている制作会社さんで、日常系の心温まるアニメが印象的でお仕事ものというジャンル(?)を多く手掛けている。最近では白い砂のアクアトーブは良いお仕事アニメで好きな作品だ。このアキバ冥途戦争も、華やかな表舞台の一方、裏では冥途を見るくらい大忙しでまるで戦争のような大変な職場で頑張るメイドさんの姿が描かれるような感じだろう思っていたのだが。。

 

第1話は、カオスそのもの。そもそも世界観が良く分からない。冒頭1985年メイド喫茶の店長が他店?のメイドに撃ち殺されるシーンで始まる。雰囲気はヤクザの親分が鉄砲玉のチンピラに襲撃されるようなイメージが重なる。時は流れて1999年、かわいいメイドに憧れてメイド喫茶「とんとことん」で住み込み(ん?住み込み??)で働くことになった 和平なごみちゃん。第1話前半は、同日入店した万年嵐子(は??35歳???)と共に慣れないお店の接客に悪戦苦闘する和やかなシーンが展開するが「おひねりちゃんの期限が過ぎている」と店長にショバ代(?)を要求するアキバファッションの男が現れてから裏舞台に突入していく。

取り立て屋の男曰く、弱小の豚小屋店がやっていけるのはケダモノランドの系列だからであり、分かってるならおひねりちゃんをひねり出せという。土下座で這いつくばり何かをひねり出す仕草をする店長。「出ませぇん」「出るよォ」。おいぉぃ、まさかひねり出しちゃうのか?冒頭からずっと背後に漂い続ける不穏な空気のせいもあり、本当にひねり出してしまうのではないかと気が気ではない。「あっ」と店長。まさか・・・。「でませぇぇん」さすがにひねり出さなかったので安堵。

取り立て屋は出せないならツュキツュキツキちゃんの件をなごみに対応させれば待つと言う。店長に頼まれ、嵐子と二人でお使いに出るなごみ。ライバル店に手紙を渡すだけの簡単な仕事で、まだ半人前な自分が少しでも役に立てると意気揚々と出掛けた。到着すると、いかにも穏やかでない店内に通される。そこは指詰めならぬツインテ詰めの儀式の真っただ中であった。何かやらかした制裁か、リーダーに自慢のツインテールの片方を切り落とされて泣き叫ぶ店員。その光景にたじろぎながらも手紙を渡したが、手紙の内容はライバル店に喧嘩を売る宣戦布告の内容だった。

 どうやら、ヤクザがメイド喫茶に置き換えられ血で血を洗う抗争を繰り広げているという世界観らしい(裏にヤクザがいる可能性もあるが、この置き換えたという構造が面白さだと思うのでそれはなかろう)。タイトルの「冥途」「戦争」で気付くべきだったか?いや、こんなの気づくかい!それにしても、なごみはこんな暴力沙汰が待っているとはつゆ知らず憧れのメイド店員になったようだ。一般人には感知できない裏の世界があるという設定なのだろうか。第2話で今回の抗争がニュースになっており、キャスターの口調からはメイドカフェ同士が抗争しているのは周知の事実のようだ。ただ、暫く起きていなかった抗争、と言っているので若いなごみが何も知らない事には一応筋は通っている。ここら辺の前提は今後色々分かってくるかも知れないが、今の所とらえどころのなさの一因になっている。親は止めなかったのか?後々疑問になってくるが、とんとことんの店員は逮捕されないのか?というのは今のところはスルーしておこう。

話は戻って、この制裁シーンもシチュエーションで笑う場面だと頭では分かるのだが、画面的にはギャグ色はなく、泣き叫ぶ店員、怒るリーダー、怯えるなごみは迫真の演技であり、笑えないけど笑うところなのか??と戸惑ってしまう。

続いて喧嘩を売られた敵メイドリーダーがなごみにガチのビンタ刑。バチン!と重いビンタの音。恐怖の表情を浮かべるなごみに見てる側の心もざわつくが、ここも、ギャグとして見てよいのか何なのか捉えどころがない。3発目のビンタから更にカオスへ展開する。嵐子がメイドリーダーに発砲。脳天直撃セガサターンで血がぴゅーーっと噴水の如くなごみに向かって吹き出る。何度も。どぴゅーーっと。ぴゅーーっと。なごみ呆然。用は済んだとトンずらを促す嵐子。しかし相手も待てコルァーと追いかけてくるので、応戦のドンパチが始まる。。嵐子が無双状態でピストルドンパンパンの血の池地獄になる。気の利いたことに、とんとことんで接客しているゆめち(二人の先輩メイド)がカラオケしているちょっとイカれた歌が嵐子のピストルのアクションと重なり、リズムに合わせてパンパン、歌がパンパン言えばピストルもパンパン、オタ芸の振り付けに乗せてパンパン。フィニッシュは命乞いしている相手に止めのパーーン。血の海の中で呆然自失のなごみ。視聴者、口あんぐりですよ。。。

事件後、放心状態で逃げ出さなくてはと決心するなごみだったが、嵐子が同部屋になり「逃げられない・・」と。気の小さいなごみにとってはホラー以外の何物でもないのだが、いや、監禁されてる訳ではないので逃げられるでしょと。何度も言うが、おそらくギャグシーンだと思うのだけど、ありがちな「引く」という表現ではなく、シリアスに怯える表現であり、素直に笑えない。。

 

ということで、第一話を視聴終えての感想が冒頭の「なんじゃ、これは。。。」になる。ただし、全体を通じてのイメージはギャグ調であり、三白眼の不甲斐ない店長が粗相をしでかし店員達が尻拭いでドタバタするという流れか。先輩店員のゆめちとしぃぽんもクセの強いキャラであり、特にギャル・しぃぽんのツッコミの一言がイチイチ笑える。

嵐子を中心に過激な無双シーンが展開し血の海のシーンになるのは正直見ていて気持ち良いものではなく若干ネガティブに感じつつも、全体としてはおバカなノリは好きだし、今後の展開もかなり気になってしまった。冒頭の過去回想における店長を射殺され怒りに震えるメイドがどうやら嵐子であり、過去と現代の繋がりにも想像を絶する展開が待っているのではないかと思わせる。全何話か分からないけれど、2クール構成でじっくり描いて欲しいと思う(*1)。

2,3話まで見れば雰囲気も分かってくるだろうから、引き続きチェックしていきたい。

 

最後に、1999年頃のアキバはどんな感じだっただろうか。アニメ関連だとカウボーイビバップのLDを買い求めに行っていた時期か。おひねりちゃん回収男のようないで立ちで石丸電器とかLAOXを巡ってLDとかアニソン・声優のCDを物色したり(*2)、デカい本屋をブラブラするのが好きだった。LDやCDを買うとポスターがもらえ、リュックにぶっ挿すという形になる。メイド喫茶はあったのかも知れないが良く分からない。ただ、メイドが路地でチラシを配っているような風景はなかったと思う。後年、ほとんどアキバに行かなくなった時に友人からビラ配りのメイド(かわいい)の写メをもらって「おぉ、これが噂のメイド喫茶」と感心した記憶がある。この辺はメイド喫茶が抗争する世界、というif の形を表現しているのだろう。1999年というといかにも世紀末で本作の雰囲気とも合う印象だ。199X年でも良かったのかも(笑)。

 

 

*1:公式HPを見ると、これは立派なお仕事アニメらしいことと、全12話構成という事が分かった。スタッフやキャストのコメントもはっちゃけていて笑ってしまった

*2:色々あるが、当時17才の井上喜久子さんの「お姉ちゃんといっしょ」とか、特に印象に残っている。調べると全集のCD-BOXが出ているらしい

リコリス・リコイル 13話

最終13話。前半は真島さんとの最終決戦でアクションシーンは良かった。千束の心臓発作で一時休戦となり、お互いの行動原理を確認しあう。平和の保たれた世の中で自分の周りの人々を幸せにできれば良いではないかという千束、DAによる真実の隠蔽によって保たれる歪な平和は壊れるべきという真島。似た者同士でのリラックスした時間の中、お互いの正義に基づいた行動だと分かりあう。千束からすれば真島がただの悪党だったらなら気も楽だったが溜息ものだろう。お互いに説得の気配も込めるがもちろん相容れる事はなく、残るは憎しみも失せた実力勝負のみ。「塔から落ちなかった方が正しい」スパッとした千束らしいセリフで試合再開。

ふと考えてしまうが、自分ならどっちに肩入れするだろうか。千束の方がしっくり来る。現実での凶悪犯罪の結末を見ていると、こいつらがリコリスやドミネーターで吹っ飛ばされていれば、と正直思わなくもない。DAの存在はアリだと思う。臭いものには蓋をした方が良いのではないか。そのうえで自分の周りの事をやるだけで精一杯だ。

 

再開された最終決戦はOPをBGMに手に汗握る展開で失笑する隙もなった。実力伯仲で最後落ちる二人、たきながギリギリで束縛銃で千束を救い上げた(Wao!!)。真島さんは落ちる。ここに魁!!男塾の王大人がいたなら「死亡確認、勝者錦木千束」と言っただろう。

 

ミカと吉松の幕引き。大人は陰で泣き次世代に未来を託す。結局細かく描かれることがなかったが、アラン機関が謎だった事もあってか 吉松の一連の行動の意図がピンとこなかった。千束を愛している事は前提なのだろう。処刑人になる事が千束の1番の幸せだと心から信じていたという事か?千束の才能は他でも活かせるだろう。そういう方面に進ませることは考えなかったのか、当初の路線は覆せない機関の制限?はたまたシナリオ的に無視された選択肢?

ミカは何で吉松を殺したのか。心臓は吉松の中でそれを取り出すためという事になるだろうか。もともと吉松に自殺願望がある訳ではないだろうし、千束は健気にも吉松の思惑には乗らず去っていった。ケースの中に心臓があるのなら吉松を殺す必要性が分からない。ミカが吉松を打つシーンは直接描かれなかった。それはミカの悲しみの表現であったと思うが、実はミカは打てず「千束を解放し違う自分を生きろ、今日がお前の新しい誕生日だ」ような感じで表舞台から退場させた可能性はあるかも知れない。主要な登場人物が死ななかったのだから、吉松も死ななかったでも良いような気がする。ん、死ななかった説がそれっぽい気もしてきた。

 

リコリコの批評を見ていると、説明不足な点で評価を下げているレビューは多いようだ。しかし世の中分からないことだらけだ。分かってるのはクルミちゃんくらいだろう。説明不足な事で矛盾が生じてるでもなく、多少分からない事はあってもいいんじゃないかと個人的には思っている。例えば上で書いた ミカと吉松については2部に持ち越すような事ではなく、劇場版でやってくれたらいいなという気持ちはある。TV版でベースが出来たのであり劇場版なら多少シリアスに振ってもいいと思う。もっと言うと、2クールでリブートしてくれないかなぁ、と妄想はある。

 

真島さん。塔から落ちても死なない不死身さ。全く驚かないですよ。とっくに男塾並みのしぶとさだと分かってましたから。死ぬ直前に中国4000年の医学に助けられましたかね。二部はあってもなくても良い感じですが、どうなりますかね、市中に広まった拳銃を絶対悪のような悪が拾い集め、千束+たきな+真島の凸凹トリオが立ち向かうって感じかも知れないな。

 

リコリコの面々。千束は死なないと頭が勝手に信じていたので、あとはどういうハッピーエンドになるか、という事だけだった。千束とたきなの再会とリコリコ@ワイハ。堪能させてもらって、終了というところでした。

 

やっぱり、リコリコのメンツを前面にしたキャラ重視路線が良かったのかな。出演者がリコリコラジオでも話していたように、キャストさん達のアドリブが結構あったと。アニメの場合はアフレコのアドリブに合わせて画にフィードバックしなくはならず凄く手間がかかるところ、制作陣は惜しみなく対応してくれた、というエピソードが印象的だった。そういう細かい仕事が生っぽさを生み出し、キャラ重視路線と噛み合い魅力を引き出しただろう。アドリブに作画が付いて行ってないように見えた部分もあったように見えたが、勢いが余っていてかえって面白かったと感じた。シナリオや演出面の良さはもちろんあるだろうけど、今回はキャラの勝利だったと思う。

 

超久しぶりにアニオタの魂を呼び起こされたアニメだった。面白かった。今後の展開にも期待。

 

リコリス・リコイル 12話

いやー、面白すぎです。

リコリス・リコイルの形式美ここに完成せり、といったところで、見ていてスカッとした。次回13話が最終回なのかな、この先の展開も楽しみだ。

 

その作品が持っている形式というものがあって、見ている側はそこに安心感や爽快感を感じたりする、というような事はあるだろう。例えば水戸黄門の「この紋所が目に入らんかぁー」「ははぁぁぁぁ」とか。悪人だったら「そんなもん目に入らんわー」とか言って切りかかってもいいじゃないですか(中にはそういう悪人もいたかも)。悪代官の家の天井の梁に潜んで悪事を見ているが、それ見つからんのかよ、とか(中には見つかって槍で突かれたりしていたかも)。そもそも黄門様一行は正義の行いをしているが、時には賄賂をもらって「年のせいか儂の気のせいだったようだ」とか言い出したりしそうなものの、そんな事はない(さすがにここはブレないはず)、とか。印籠シーンの時間に視聴率が上がるという話があったような気がする。

 

そういうツッコミどころの積み重ねが作品を安心して見れて面白さをもたらす要因の一つに違いない。この12話をもってリコリス・リコイルの形式がついに完成したと感じた。

 

やっぱりまずは、千束のブレないキャラはみていて気持ち良い。「助けられた命で他者の命を奪うようなことはできない」という不殺の誓いをブレない軸として、とぼけた言動、やさしさ、愛情、(戦闘の)強さ、を持ち合わせた多面的で魅力的なキャラ。鬱展開にはならないと信じつつも、毎回、闇落ちしないよね?しないでしょ?しないはず・・というハラハラ感もあり、かなりやられた。

声優の安斉知佳さんがバッチリはまっている。今となってはこのキャスティングが違ったら全く成立しないのではないかと思えるほどに千束のキャラに命を吹き込んでくれた。自分の中では安斉知佳というと響けユーフォニアム高坂麗奈だったので、千束というよりはたきなのイメージだったので最初少し驚いた。また、有名な人気の声優さんという認識ではあったが、あまり具体的な役名が思いつかなかったので、調べてみると「へーこれも安斉さんだったか」というものがポロポロ出てきた。声の使い分けが凄く達者だなという印象で、共通点を見いだせず気づかなかったりしたようだ。それらの中でも千束の役はより生き生きと、より楽しそうにやられているように聞こえる(ただの思い込みだろう)。

 

次に、いい感じに適当な世界観が良い/楽しいと感じる。アンチから、世界観が軽い/ご都合主義、のような叩かれ方もしているように、確かにそういう見方はできるだろう。リコリスの隠密性を演出している程のDAの高度なコンピュータシステムが、最後くるみちゃんに雑魚のようにあしらわれるようなロボ太くんにあっけなくいいようにハッキングされたりするだろうか、USB一つでこうなる?と。

他に11-12話で面白かったのは、電波塔の上を自在に走り回る千束とたきな。ルパンかコナン(未来少年の方)かーい、と爆笑した。落ちるんじゃないかとハラハラしたが、あ落ちないんだね、ふむふむ、と。

あと、真島さんがいつも楽しませてくれる。登場時はただのイカレ野郎で3話後には退場するだろうと思ったけれど、ホントいい感じのキャラになった。いくら撃たれてもしっかり復活するしぶとさ。そして、その能力には驚く他ない。異常な耳の良さを活かして暗闇の中もスイスイ動ける。蝙蝠かい!と。いや、そこまでなら良くある話だが、蝙蝠など比ではなく、ライダーシステムがSLAMで360度マッピングをするが如く、舌打ちの反響で周囲の状況が丸ごと頭に入るという超優秀能力。蝙蝠のような下等生物ではなく人間様にこそなせる技だと納得。しかし、耳が良すぎて千束の至近距離からの銃撃音には耐えられなかった。ううーっと苦しみそれをきっかけに拘束されてしまったが、ベタベタ過ぎて爆笑した。普通に耳が弱点なんだ。普段は耳栓とかしてるのかな。

リリベルの部隊に対峙する千束。集団でマシンガンぶっ放してきたが、モブの攻撃などもはや避ける仕草も不要だ。

事件の幕引きも気持ちよいほどのスムーズさだ。くるみちゃんの活躍は素晴らしい。子供の頃にハッカーに憧れた気持ちが蘇ってくる!「あもしもしぽりすめぇ~ん?」には笑った。この子なしではあらゆる危機がどうにもならなかっただろうという偉大過ぎる存在。くるみちゃんなら何でもありでOKですよ。

 

バカにしたような書き方だがそうではない。大雑把でドストレートな設定・表現は、リコリス・リコイルを楽しむ形式美として昇華したと言えるのではないだろうか。1クールの制約の中で、リコリコの面々の描写に重点を置き、細かい部分は割り切った事は最終的にはうまく噛み合ったように感じる。だから、前に述べたようなアンチの指摘には、それもリコリス・リコイルの面白いところだ、としか言いようがない。そういう粗を受け入れられない人には残念な作品になってしまうだろう。

 

肝心のアクションシーンはスピード感、緊張感が相変わらずの秀逸さだった。アクションシーンは本作の命であり本当にカッコいい。また、たきなの千束を失いたくないという本気さも非常に見どころがあった。完全にプッツンきちゃって「心臓が逃げるぅぅ!!!」は鳥肌ものだった。たきなの感情を表すこれ以上の表現はないだろう。弾切れになっても泣き叫びながら撃つのを止めない。興奮するたきなに穏やかに言い聞かせるシーンは今回一番の見所だった。こういうの好き。みんな成長した。

 

さて、2期もありそうな雰囲気だ。千束の経緯なども大方あきらかになって、事件も解決すれば綺麗にまとまって2期はないだろうと思っていた。あるとしたら真島が捕まらないのを追いかける可能性はあるのかと。

言い忘れたがもう一つの形式美にED曲花の塔に繋がるエンディングがある。千束が闇落ちしないと思った理由にこの形式が最後まで貫かれる事との整合性を気にしていたことがある。大抵のアニメの場合、深刻な話になるとEDがバラード曲と融合するような演出になったりするが、本作の場合は途中から全てこのEDの形を貫く気だろうと感じていた。すると最後はある程度明るい終わり方をする必要があり、話を跨いでの鬱展開はないだろう、という斜めからの読みはあった。

12話の最後、不死身の真島さんが「よっ」と。千束も「よぉ」と返し、花の塔が入る。ニヤっとしてしまった。何と気持ちのいい。

ここまでアラン機関というものがイマイチ良く分からなかった。吉松の行動原理もモヤっとしている。今回リリベル側の司令官が口にしていた「上層部」、色々と謎めいたままな部分は多い。リリベルも活躍がほぼなかった。アラン機関をぶっ潰したいという真島の思惑と、吉松絡みでアラン機関を追うというような思惑が合致して見かけ上組むような形になれば面白いし、そうでなくても面白い展開にはなりそうだ。

 

最終回、どうなるか。

 

OSANPOガール #1ひまわり祭

新連載(?)

OSANPO#1

 

ずいぶん以前にお気に入りだったセガネタ中心のゲーム系ブログがあって、管理人がデザインしたと思われるイラストのキャラクター達の会話でゲームの紹介や感想の話が進むという構成だった。いい味を出しているブログだったが、引っ越ししたかやめてしまったか分からないが行方が追跡できなくなって何年も経つ。ブログのタイトルも忘れたので検索もできない。

そこには画風の違う4コマ漫画も掲載されていて、2本立てで別視点からゲームを斬る的な作りだったのだが、漫画の方はどことなく機械的っぽい画風だったので、手書きとデジタルで作画した2種類あるのだと思っていた。が、あるきっかけで4コマ漫画の方は、漫画作成ソフトの"コミPo!"によるものだと分かった。

その後、自分は絵が全く描けないのだけれど、あるネタで漫画を描いてみたいなぁと思った時、コミPo!を試してみる事を思いついたが、ソフト自体がそれなりの金額だったため手が出させずにそこで諦めてしまった。

そしてまた忘れた頃に性懲りもなくコミPo!について調べてみたところ(ここ1年くらいの話)、なんと価格が下がっていて1000円弱で買えるようになっていたので、ここぞとばかり購入。それでもインストールはしたものの腰が重かったりでウダウダしていたが、ついに心機一転使い方を学習してみる事にした。それが、上に貼ってある4コマ漫画だ。

初めて作った漫画は、ソフト付属の基本データだけで作成した。しかし、使っていたらすぐに物足りなくなって自作の背景やモデルを使ってみたくなるだろうなという印象だ。その打開手段のひとつとして、何やら難しそうだが、カスタマイズ機能も徐々に勉強する必要がありそうだ。

 

コミPo!の主な仕組みは、背景画を張り付けて、その上に3Dモデルの人物を配置する。3Dなのでマウスでグリグリすれば色んな角度からの見た目に対応できる。ポーズや表情も沢山あるプリセットから選ぶことができ、手首は色んな角度に調整できて物を持つような細かい仕草も表現可能だ。首の角度も微調整できるので微妙な表情の作りこみができる。吹き出し漫符、効果線の形も色々入っている。ソフト付属のプリセットデータの他、追加データを売っていたり、ユーザーが作ったデータがコミュニティに登録してあり、そういうものを利用する事もできる。

 

コミPo!は割と古くからあるソフトのようで、現在活発な状態かというとそうでもない雰囲気がする。なぜだろう。自分のように絵が描けない人には画期的なソフトのように思うが。他にもっと優れた使いやすいツールがあるのだろうか。または表現として一定以上のクオリティができなくて飽きられてしまっているのか。

 

最後に、作ってみての感想は純粋に楽しいということだ。気の利いたストーリーも思いつかなかったので、1コマ目は適当に背景とモデルを置いてぐりっと振り向いた感じに動かした。2コマ目も適当にボースを変更したり人を増やしたりしてみた。視点を反転して背景を左右反転したりしているが、この辺は使い方を試している中でのただの練習だ。画的に矛盾がありそうな気がする。3コマ目はさすがに背景を変えてみた。気の利いた背景があるようでないようで、とりあえず目を引いたひまわり畑の写真をセット。ひまわり畑は、ツールドフランスの風景として定番ということと、地元には広いひまわり畑があって馴染み深い背景なのだ。ここまで来ると、地元のひまわり祭りの行事との組み合わせでストーリーをこじつけてみた。起承転結もないような流れだが日常系の雰囲気が出ているに違いない。学校帰りに制服のまま遊び歩いて買い食いする女子高生二人(笑)。こうしてできた画像を見ていると妙な愛着も湧いてずっと眺めていられる!親ばか状態だな。

 

続きを書きたいがストーリーが思いつかない。。